ピンボールハッピー

通信業界特殊偵察部隊のモノゴトの見方、見え方、考え方

こんな服装では老けて見られてしまう... かな

»

時々ネットで見かける男性のファッションの話。マナー系の話と同様に「そうなんですねそうですね」といった意見、あるいは「何言ってるんだよアホちゃうか」といった意見が乱れ飛ぶは昔からあまり変わらない気がしています。
そんな流れがあるお題ですが、ふと「こんな服装では老けて見られてしまう...和田秀樹が語る「60代でユニクロ愛用に潜む大きな落とし穴」」というお題が目に留まりました。乱暴にまとめると、60代になってもきちんとスーツを着るのが更けて見られない秘訣だよ、みたいなお話です。
いかにも各論噴出しそうなお題です。元はに掲載されていて、GooleやFacebookを経由して流れてたみたいですしでも配信されているのですが、特にYahoo! Japan Newsでは所謂が付く訳で...

予想どうりのコメントの山を楽しむ

各方面言いたいことが一杯でてくる服飾系やマナー系の話はやっぱりヤフコメ民の草刈り場を眺めるのが大人の嗜みじゃないかと常々考えてます。ちなみに今回は「何着ても別に良いじゃんうるせぇよ」系のコメントは一杯あるんですが、勿論中には「いい生地のスーツ良いよ」とか「問題は着る人の意識でしょ」とかあって、でも基本想像できる範囲のコメントばかりなので個人的にはあんまり面白くないです。あくまでもコメントの暴れ具合を楽しみたい私個人的には。

因みに記事中ではユニクロをファストファッションのブランドとして触れているのですが、自分的にはそれは違うだろと思っています。実際商品ラインナップの仕方もデザイン的も価格もファストファッションというには非常にコンサバだという気がしてて、典型的なファストファッションの世界と違うでしょというのが私の理解です。別にだからといってユニクロを何かしら擁護するわけではなく、単に主張の方向が違ってない?って思うだけなのですが、

改めて自分の服を眺めなおす

よくよく考えると過去10年くらい、ドレスコードとしてスーツじゃないとヤバイ場所には用事が無くて行っていません。
仕事上でもプライベートでも。
敢えて言うと冠婚葬祭はあります。ただしそれ以外では記憶に殆ど無いんです。ジャケット着用が求められる場はありましたが、ブレザーとチノパンで済んでしまう程度の場所にしか出入りしておらず、当然新しいスーツを買うことも無く、スーツを探してクローゼットを眺めてみると正直手元には20年前のスーツしかありません。

幸いなことに体形が20代から変わっていないので着れる着れないという問題が起きたことはありません。もちろん今の時代にそれを着てもデザインがどうよというのは理解してますけれど、元々何が流行ろうが40年前から三つボタン段返りしか持ってない=40年前に既にある意味旧いデザインだったモノばかりなので今更気にしないし、気にしようにも着ないからなぁというのが正直な話だったりします。

但し、だらしない恰好をしない方が良いという方向の話は一応理解できます。でもそれがスーツじゃないと駄目論になるのは理解できないんです。スーツ至上論に対する逆張りでどこかの国のセレブみたいに素敵なブランドのジャージでどこでも行っちゃう人かも含め人それぞれだとは思うのですが、とりあえず多様性の存在は認めましょうよと大人の対応を求める気持ちがちょっとだけあります。

懐かしの「ビジネスカジュアルがゴルフウェアになってしまった時代」の記憶

それはともかく、スーツもしくはそれなりのブランドの方が良いに決まってるでしょファストファッションなんて駄目よと言ってる例えば60代以上の人って、一定の比率でかつて「ビジネスカジュアル」という言葉が出た時にポロシャツと適当なスラックスで仕事に行って「ここはゴルフコースじゃねぇ」と言われた層を形成していた人の筈なんですよね。そして今でも一定以上の資産や収入や地位があり自由に着るものにお金をかけられる方が殆どじゃないかと思ってるんですけど、いずれにせよ私なんかと同じか上の世代にそういう時代の人が多いのは事実だと思ってます。

例えば高度成長のあとを受けてバブルな時代に24時間働いて服飾関係に金を使って、かつ今でも金を使える層。
例えばDCブランドの肩パットバリバリのスーツとか着たことある層。
例えばイタリアの高級生地で頑張ってスーツを仕立てたことがある層。

もっと他にも分類できるとは思いますが、とりあえずこういった思考自体はわかります。
歴史的背景もわかります。
私もその時代に生きてましたから。

その頃も今も「それじゃねぇだろ」な恰好の人を見かけるのは別に稀じゃないですけれど、でも結局のところ着る人の自由だし、それを見てどう思うかも人それぞれだと思っています。
なにかに倣えというよりも多様性の存在を認める方が余程精神衛生上健康じゃないかと思っています。
もちろん多様性の存在は認めても個人的な好き嫌いが消えることは無いですが。

しかし自分の持っている服のある部分に頑固さがあるのは理解しています

そういえば例えばJeansは40年前から事実上Levi'sの501しか履いてないのは以前に書いたのですが、要は選ぶのが面倒なのと100年前にルーツを持つ既にクラシックな物だし、細かくモデルの違いがあるのは知ってますが基本のモデルはずっと残るでしょと安易に考えた結果だったりします。ということで何本も持ってるのですが、古いのは擦り切れてくるのは仕方ない。
ただ有難いことにJeansのサイズって高校の頃から変わって無いので履けるものは何年でもずっと履けてるし、実際に今でも今年買ったのから15年前に買ったものまでローテーションしながら履いてるんです。

そのLevi's 501もだからといって別に後生大事に「俺は洗わないんだ」とかの意識はないし、実際買うのは基本生デニムで洗うとガンガンに縮むやつばかりです。意識は殆ど単なる「作業着扱いされない作業着」。

でも長年履いてると所々擦り切れてきて結果的にダメージドジーンズになるんですが、作られたダメージドジーンズと違ってネイティブなダメージドジーンズ=履きつぶしに向かっているだけなので、それを傍目に見たらどうなんでしょうねって他人事のように思うことが無くはないのは正直な話。でも息子や娘がたまに履いて行っちゃうんですが、サイズはベルトで何とかなるレベルなお蔭で友人などから「それどこで買ったんだよ」とか言われることもあるらしく、どうやら何かの役に立ってるみたいです。

よかったよかった。

でもこれでも一応スーツというかまじめにメンズファッションのある部分をちゃんと勉強した時期はありました

そんな私ですが、30代まではメンズクラブを読み漁り、スーツ・ネクタイ・靴等々のメンクラの別冊も全部そろえ、ananで女性ファッションの情報も頭に入れつつDCブランドに背を向けて所謂トラッド系にひたすら走り、俺はボタンダウンしか着ないんだと何故か突っ張ってました。そして今もボタンダウンじゃないドレスシャツは多分1枚くらいしか持っていません。
何をこだわっているのか、もう自分でも笑うしかないです。

そう言えば1990年代初頭、出張でアメリカに数回行ったことがあるのですが、何回目かでスケジュールが現地でめちゃめちゃに変わって2週間くらい2日おきに東海岸の都市を移動する羽目になってクリーニングが間に合わなくなり、どうしようもなくなった時にたまたま滞在していたシカゴでBrooks Brothersの店にドキドキしながら行きました。当時の私、Brooks Brothersのシャツもスーツも(一番安いやつを)何着か持ってました。日本で売っているものもサイズ表記はアメリカと同じ。ならばアメリカでも買えるでしょとサイズだけ見てボタンダウンシャツを買ったら、日本のBrooks Brothersで売ってるのと同じサイズ表記なのに身頃が5割増しくらいで巨大なのに驚いたとかくらいの体験ならあったなってのを思い出しました。
懐かしい。

なお、いまは冠婚葬祭を除くと本当に稀にブレザー着ることがある程度なのですが、仕事上もプライベートでもスーツは着るチャンスが全く無くなりました。
カビに怯えながらクローゼットにぶら下がってるだけです。

流石に息子とは服の嗜好が違うし求められる環境も違うので、私のスーツなど要らんと言われています。
まぁ私も自分の事を思い出すと父の遺したスーツやブレザーのうち少数のブレザー以外は着ないということで処分しましたから理解は出来ますし、別に「高い生地使った高級なスーツ」でもない単なるサラリーマンの作業着としてのスーツなので、まぁ仕方ないですね。
もうこの年末には流石に処分しようかと思い始めています。

Comment(0)